色で喜怒哀楽が出せる

2010-12-20

私の赤は、『アメリカンーヴォーグ』誌の編集長であったダイアナ・ヴリーランド女史の目に止まり、特集をして下さった。それがいつの間にか、“日本の赤”という言い方をされるようになった。当時、日本のデザイナーは珍しかったので、そんな私の赤が“日本の赤”といわれたのである。色で喜怒哀楽が出せるということを駆使して、色の取り合わせで奇抜なこともやった。たとえば、赤とショッキングピンクを合わせる。今でこそ誰でもやるようになったけれど、その頃この取り合わせはセンセーショナルだった。黄色と赤を組み合わせたり、ターコイズブルーとウルトラ・バイオレットやエメラルドの取り合わせとか……。なにぶん、黒が流行だったので効果的であった。学校で習うような色の組み合わせは、絶対に使わなかった。そういうのは常識的で、調和はとれる。でも、私は「まさか!」というような組み合わせを打ち出した。それによってアメリカでの一〇年を築いたのである。アメリカではいかに強調して目立つかということが、競争のテーマであった。しかし、七、八年たった頃に、もう色はたくさんという感じで、色にくたびれた。